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【動画で比較】ササフラス(SASSAFRAS)フォールリーフパンツ4型の違いと選び方
【動画で比較】ササフラス(SASSAFRAS)フォールリーフパンツ4型の違いと選び方 SASSAFRAS(ササフラス)のパンツといえば、まず間違いなく名前が挙がるのがこの「FALL LEAF(フォールリーフ)シリーズ」。 ササフラスといえば、やっぱりガーデニングウェアというちょっと変わったコンセプト。ワークやミリタリーの無骨な格好良さに、庭いじりのタフな道具感をミックスした、他にはない服作りがたまらないブランドです。 その中でも一番のアイコンが、腰まわりをぐるりと包む大きなフォールリーフポケット。もともとはガーデニングエプロンのポケットから着想を得たディテールなんですが、バッグを持たずに全部ポケットに放り込んで出かけられるこの快適さ、一度味わうと本当に抜け出せなくなります。 でもこのフォールリーフシリーズ、パッと見はどれも同じポケットが付いているので「何が違うの?」と迷う方も多いはず。 そこで今回は、定番の13.5ozデニムから代表的な4型(FALL LEAF PANTS/SPRAYER/GARDENER/TOUGH)をピックアップ。比較表や着用動画を交えながら、それぞれのシルエットの違いや選び方を分かりやすく整理していきます。 FALL LEAF PANTS 4型の違いを比較 モデル シルエット・特徴 FALL LEAF PANTS シリーズの原点で、5ポケットジーンズをベースにしたストレート FALL LEAF SPRAYER PANTS 4型で最も裾がすっきりしたテーパード FALL LEAF GARDENER PANTS やや太めのストレートで、ハンマーループやツールポケットを装備 FALL...
【動画で比較】ササフラス(SASSAFRAS)フォールリーフパンツ4型の違いと選び方
【動画で比較】ササフラス(SASSAFRAS)フォールリーフパンツ4型の違いと選び方 SASSAFRAS(ササフラス)のパンツといえば、まず間違いなく名前が挙がるのがこの「FALL LEAF(フォールリーフ)シリーズ」。 ササフラスといえば、やっぱりガーデニングウェアというちょっと変わったコンセプト。ワークやミリタリーの無骨な格好良さに、庭いじりのタフな道具感をミックスした、他にはない服作りがたまらないブランドです。 その中でも一番のアイコンが、腰まわりをぐるりと包む大きなフォールリーフポケット。もともとはガーデニングエプロンのポケットから着想を得たディテールなんですが、バッグを持たずに全部ポケットに放り込んで出かけられるこの快適さ、一度味わうと本当に抜け出せなくなります。 でもこのフォールリーフシリーズ、パッと見はどれも同じポケットが付いているので「何が違うの?」と迷う方も多いはず。 そこで今回は、定番の13.5ozデニムから代表的な4型(FALL LEAF PANTS/SPRAYER/GARDENER/TOUGH)をピックアップ。比較表や着用動画を交えながら、それぞれのシルエットの違いや選び方を分かりやすく整理していきます。 FALL LEAF PANTS 4型の違いを比較 モデル シルエット・特徴 FALL LEAF PANTS シリーズの原点で、5ポケットジーンズをベースにしたストレート FALL LEAF SPRAYER PANTS 4型で最も裾がすっきりしたテーパード FALL LEAF GARDENER PANTS やや太めのストレートで、ハンマーループやツールポケットを装備 FALL...
Reggieの勝手に豆知識|迷彩の歴史#3:迷彩は国ごとの発想が表れる柄になった
Reggieの勝手に豆知識|迷彩の歴史#3:迷彩は国ごとの発想が表れる柄になった 前回のコラムでは、敵の目を欺くために、さまざまな迷彩や擬装が生まれていった経緯を見てきました。 続く第3回の舞台は、第二次世界大戦。ここで迷彩は、各国の戦略や思想が色濃く反映された「柄」として、大きな進化を遂げることになります。 同じ迷彩でも、その考え方は国によって違いました。例えば、イタリアは背景に馴染む方向へ、ドイツは輪郭を崩す方向へと進んでいきます。 ・【イタリア】世界初、迷彩の量産に成功(1929年〜) 1929年、イタリア軍は世界に先駆けて迷彩の量産化に成功しました。 それまでの手描きではなく、迷彩柄をプリント生地として量産し始めます。その象徴が、迷彩「テロ・ミメティコ(Telo Mimetico / M1929)」でした。 赤茶や緑の斑(まだら)が重なる、有機的な模様が特徴で、景色に溶け込みやすい柄でした。1990年代まで約60年以上も現役であり続けた、世界で最も長寿な迷彩の一つとして歴史に刻まれています。 📷 第二次世界大戦期に使われた、イタリア軍Telo Mimeticoの柄見本。 出典:Wikimedia Commons, “Wartime Italian M1929.jpg”, CC BY-SA 3.0 📷 Telo Mimetico柄のイタリア軍M.1958オーバースーツ。 出典:Wikimedia Commons, “Sobreunif-TM-58.jpg”, CC BY-SA...
Reggieの勝手に豆知識|迷彩の歴史#3:迷彩は国ごとの発想が表れる柄になった
Reggieの勝手に豆知識|迷彩の歴史#3:迷彩は国ごとの発想が表れる柄になった 前回のコラムでは、敵の目を欺くために、さまざまな迷彩や擬装が生まれていった経緯を見てきました。 続く第3回の舞台は、第二次世界大戦。ここで迷彩は、各国の戦略や思想が色濃く反映された「柄」として、大きな進化を遂げることになります。 同じ迷彩でも、その考え方は国によって違いました。例えば、イタリアは背景に馴染む方向へ、ドイツは輪郭を崩す方向へと進んでいきます。 ・【イタリア】世界初、迷彩の量産に成功(1929年〜) 1929年、イタリア軍は世界に先駆けて迷彩の量産化に成功しました。 それまでの手描きではなく、迷彩柄をプリント生地として量産し始めます。その象徴が、迷彩「テロ・ミメティコ(Telo Mimetico / M1929)」でした。 赤茶や緑の斑(まだら)が重なる、有機的な模様が特徴で、景色に溶け込みやすい柄でした。1990年代まで約60年以上も現役であり続けた、世界で最も長寿な迷彩の一つとして歴史に刻まれています。 📷 第二次世界大戦期に使われた、イタリア軍Telo Mimeticoの柄見本。 出典:Wikimedia Commons, “Wartime Italian M1929.jpg”, CC BY-SA 3.0 📷 Telo Mimetico柄のイタリア軍M.1958オーバースーツ。 出典:Wikimedia Commons, “Sobreunif-TM-58.jpg”, CC BY-SA...
Reggieの勝手に豆知識|迷彩の歴史 #2:なぜ「カモフラージュ」はフランス語なのか?赤ズボ...
Reggieの勝手に豆知識|迷彩の歴史 #2:なぜ「カモフラージュ」はフランス語なのか?赤ズボンの大失敗が生んだ逆転劇 前回のコラムでは、フランス軍が「赤ズボン」で目立ちすぎて大敗したお話をしました。しかし、その屈辱こそが現代のファッションに繋がる迷彩のルーツになっていたんです。 ・語源はフランス語。カモフラージュの意外なルーツ。 実は「カモフラージュ」という言葉は、フランス語の“camoufler(化かす、変装させる)”が語源。第一次世界大戦中の1915年、あの赤ズボンの大損害を受けてフランス軍は、世界初の公式迷彩部門とされる組織を設立します。そこに集められたのは兵士ではなく、画家や彫刻家といった「視覚のプロ」たち。のちに部隊は大規模な組織へと拡大し、芸術を「生存のための武器」へと変えたのです。 📷 フランス軍の迷彩部門で使われた腕章。カメレオンは周囲に溶け込む擬態の象徴として採用された。 出典:Wikimedia Commons, “Armband of the Camouflage Section”, CC BY-SA 4.0 ・【フランス】景色をハックする「鉄の切り株」(1915年頃~) フランス軍のアーティストが仕掛けたのは、究極の視覚トリックでした。真夜中に、砲撃で折れた本物の木を切り倒し、寸分違わぬ「鉄製のレプリカ」を設置。中に観測兵を潜ませ、敵の動向を監視していたのです。 📷 木に偽装された観測用の「観測木」 出典:Wikimedia Commons, “Wartime Italian M1929.jpg”, CC BY-SA 3.0...
Reggieの勝手に豆知識|迷彩の歴史 #2:なぜ「カモフラージュ」はフランス語なのか?赤ズボ...
Reggieの勝手に豆知識|迷彩の歴史 #2:なぜ「カモフラージュ」はフランス語なのか?赤ズボンの大失敗が生んだ逆転劇 前回のコラムでは、フランス軍が「赤ズボン」で目立ちすぎて大敗したお話をしました。しかし、その屈辱こそが現代のファッションに繋がる迷彩のルーツになっていたんです。 ・語源はフランス語。カモフラージュの意外なルーツ。 実は「カモフラージュ」という言葉は、フランス語の“camoufler(化かす、変装させる)”が語源。第一次世界大戦中の1915年、あの赤ズボンの大損害を受けてフランス軍は、世界初の公式迷彩部門とされる組織を設立します。そこに集められたのは兵士ではなく、画家や彫刻家といった「視覚のプロ」たち。のちに部隊は大規模な組織へと拡大し、芸術を「生存のための武器」へと変えたのです。 📷 フランス軍の迷彩部門で使われた腕章。カメレオンは周囲に溶け込む擬態の象徴として採用された。 出典:Wikimedia Commons, “Armband of the Camouflage Section”, CC BY-SA 4.0 ・【フランス】景色をハックする「鉄の切り株」(1915年頃~) フランス軍のアーティストが仕掛けたのは、究極の視覚トリックでした。真夜中に、砲撃で折れた本物の木を切り倒し、寸分違わぬ「鉄製のレプリカ」を設置。中に観測兵を潜ませ、敵の動向を監視していたのです。 📷 木に偽装された観測用の「観測木」 出典:Wikimedia Commons, “Wartime Italian M1929.jpg”, CC BY-SA 3.0...
Reggieの勝手に豆知識|迷彩の歴史 #1:なぜ軍服から「色彩」が消えたのか
Reggieの勝手に豆知識|迷彩の歴史 #1:なぜ軍服から「色彩」が消えたのか 今でこそ定番の「迷彩」ですが、原点は複雑な模様ではなく土の色でした。 ・「名誉」という名の赤い標的 19世紀までの軍服は、いわば「見せるための服」でした。 味方を見分け、隊列を美しく保ち、国家の威信を敵に見せつける。そのために「あえて派手であること」が、当時の正義だったわけです。 その象徴がフランス軍の真っ赤なズボン、通称「マダー・レッド」。 赤いズボンはフランス軍の国家的象徴とされていましたが、時代の進化がそれを残酷なものに変えてしまいます。 1884年の無煙火薬の登場をはじめ、連発銃や機関銃が普及すると、遠くから正確に、かつ連続で狙い撃たれるようになり、かつての誇りだった「赤」は、皮肉にも戦場で動く標的へと変わってしまったのです。 📷1914年のフランス歩兵。赤いズボンが特徴の初期軍装。 出典:Wikimedia Commons, “798px-French soldier early uniform WWI(1).JPG”, CC BY-SA 3.0 ・コーヒーやカレーで染めた軍服 一方で、いち早く「隠れる色」の重要性に気づいたのが、英領インドの部隊でした。 1840年代後半、指揮官のハリー・ラムズデン卿は、部下たちが着ている真っ白な軍服は現場の環境に合っていないと感じていました。 当時の白い軍服は、砂漠の太陽の下であまりに目立ち、しかも土埃ですぐに汚れが目立ってしまう。 そこでラムズデン卿は、「最初から現地の土の色に染めて、景色に溶け込ませてしまおう」と考えました。 使ったのは、泥や土。さらには、コーヒー、紅茶、カレーパウダーまで。 身近なもので無理やり「白」を消したその色が、ヒンドゥスターニー語で「土埃」を意味するカーキ(Khaki)の始まりです。 📷 Lumsden’s Guides...
Reggieの勝手に豆知識|迷彩の歴史 #1:なぜ軍服から「色彩」が消えたのか
Reggieの勝手に豆知識|迷彩の歴史 #1:なぜ軍服から「色彩」が消えたのか 今でこそ定番の「迷彩」ですが、原点は複雑な模様ではなく土の色でした。 ・「名誉」という名の赤い標的 19世紀までの軍服は、いわば「見せるための服」でした。 味方を見分け、隊列を美しく保ち、国家の威信を敵に見せつける。そのために「あえて派手であること」が、当時の正義だったわけです。 その象徴がフランス軍の真っ赤なズボン、通称「マダー・レッド」。 赤いズボンはフランス軍の国家的象徴とされていましたが、時代の進化がそれを残酷なものに変えてしまいます。 1884年の無煙火薬の登場をはじめ、連発銃や機関銃が普及すると、遠くから正確に、かつ連続で狙い撃たれるようになり、かつての誇りだった「赤」は、皮肉にも戦場で動く標的へと変わってしまったのです。 📷1914年のフランス歩兵。赤いズボンが特徴の初期軍装。 出典:Wikimedia Commons, “798px-French soldier early uniform WWI(1).JPG”, CC BY-SA 3.0 ・コーヒーやカレーで染めた軍服 一方で、いち早く「隠れる色」の重要性に気づいたのが、英領インドの部隊でした。 1840年代後半、指揮官のハリー・ラムズデン卿は、部下たちが着ている真っ白な軍服は現場の環境に合っていないと感じていました。 当時の白い軍服は、砂漠の太陽の下であまりに目立ち、しかも土埃ですぐに汚れが目立ってしまう。 そこでラムズデン卿は、「最初から現地の土の色に染めて、景色に溶け込ませてしまおう」と考えました。 使ったのは、泥や土。さらには、コーヒー、紅茶、カレーパウダーまで。 身近なもので無理やり「白」を消したその色が、ヒンドゥスターニー語で「土埃」を意味するカーキ(Khaki)の始まりです。 📷 Lumsden’s Guides...
Reggieの勝手に豆知識|【Levi’s】革パッチの「2頭の馬」の意味とは?ツーホースマーク...
Reggieの勝手に豆知識|【Levi’s】革パッチの「2頭の馬」の意味とは?ツーホースマークの由来とその真実 Levi’sの腰元でおなじみのバックパッチ。 よく見ると、2頭の馬がジーンズを左右から引っ張るイラストが描かれています。 なぜこのデザインが生まれ、約140年にわたり使われ続けているのでしょうか。 今回は、ツーホースマークに隠された歴史と面白いエピソードをご紹介します。 ■ 1. ツーホースマークが表す意味と2つの役割 革パッチに描かれたこのデザインは、Two Horse Trademark(ツーホース・トレードマーク)と呼ばれ、1886年に誕生しました。 このイラストが意味するのは、リベットで補強されたパンツの強さと品質です。 「左右から2頭の馬が引っ張っても破れない」というLevi’s最大の強みを視覚的に伝えるために描かれました。 初期のパッチには、そのメッセージを直接伝える「引っ張っても無駄だ。破れない(It’s no use they can’t be ripped.)」というコピーも添えられていました。 1873年にリベットで補強されたパンツ「ウエスト・オーバーオール」が誕生。 その13年後に登場したこのマークには、大きく2つの役割がありました。 ― 文字が読めなくても分かる目印 1880年代のアメリカ西部では、カウボーイや鉱山労働者、鉄道建設作業員などが働き、その中には世界各地から来た移民もいました。英語を母語としない人や文字を読めない人にとって、このマークは「2頭の馬のパンツ」と商品を見分け、店で注文する際の目印になっていたのです。 ― 特許切れを見据えた「元祖」のアピール 1890年にリベット補強の特許が切れるのを前に、他社製品と区別し、自社がリベット付きパンツの元祖であることと、その強さや品質を印象づける狙いもありました。 ■ 2....
Reggieの勝手に豆知識|【Levi’s】革パッチの「2頭の馬」の意味とは?ツーホースマーク...
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Reggieの勝手に豆知識|【ジーンズの歴史】破れたデニムはいつからおしゃれになった?ダメージ...
Reggieの勝手に豆知識|【ジーンズの歴史】破れたデニムはいつからおしゃれになった?ダメージジーンズ誕生の裏側 今ではごく普通に売られている、最初からボロボロに破れたジーンズ 「ダメージジーンズ」や「ダメージデニム」と呼ばれ、定番のファッションアイテムとして親しまれています。 19世紀、鉱山労働者やカウボーイのワークウェアとして誕生したジーンズ。当時は頑丈さこそが最大の価値でした。 それを考えると、なぜ私たちは最初から破れているジーンズに魅力を感じ、一つの製品として誕生するに至ったのでしょうか。その背景には、時代ごとの音楽やユースカルチャーがファッションへと繋がっていく歴史がありました。 今回は、そんな「ダメージジーンズ誕生の裏側」に隠された豆知識をお届けします。 1 ■1960年代後半:ヒッピー文化とデニムリメイク 最初のきっかけは、1960年代後半のヒッピー文化(※1)に遡ります。当時、彼らを中心としたカウンターカルチャー(※2)の中では、既成社会や物質主義(※3)への違和感が広がっていました。 その感覚は服装にも表れ、中でもデニムは労働者的な背景や天然素材ならではの気取らなさ、そしてタフで扱いやすい性質が、彼らの価値観と重なりやすい存在でした。 ・ベルボトムのシルエット ・刺繍やパッチワークによる装飾 ・穿き込まれた色落ち 大量生産された服をそのまま着るのではなく、自分らしく変えていくこと。 それが、既成社会や物質主義的な価値観への抵抗の表現でした。 ※1 ヒッピー:1960年代後半のアメリカで、古い社会のルールに縛られず、自由な生き方を求めた若者たち。 ※2 カウンターカルチャー(対抗文化):それまでの当たり前や親世代の価値観に反対し、新しい文化や表現を生み出そうとした動き。 ※3 物質主義:お金や物を多く持つことを、豊かさや成功の基準とする考え方。 📷 1960年代のヒッピー文化を象徴する音楽フェスに集まった若者たち。 出典:Wikimedia Commons, “Woodstock-kids.jpg”, CC BY 3.0 2■...
Reggieの勝手に豆知識|【ジーンズの歴史】破れたデニムはいつからおしゃれになった?ダメージ...
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