Reggieの勝手に豆知識|迷彩の歴史#3:迷彩は国ごとの発想が表れる柄になった
前回のコラムでは、敵の目を欺くために、さまざまな迷彩や擬装が生まれていった経緯を見てきました。
続く第3回の舞台は、第二次世界大戦。ここで迷彩は、各国の戦略や思想が色濃く反映された「柄」として、大きな進化を遂げることになります。
同じ迷彩でも、その考え方は国によって違いました。例えば、イタリアは背景に馴染む方向へ、ドイツは輪郭を崩す方向へと進んでいきます。
・【イタリア】世界初、迷彩の量産に成功(1929年〜)
1929年、イタリア軍は世界に先駆けて迷彩の量産化に成功しました。
それまでの手描きではなく、迷彩柄をプリント生地として量産し始めます。その象徴が、迷彩「テロ・ミメティコ(Telo Mimetico / M1929)」でした。
赤茶や緑の斑(まだら)が重なる、有機的な模様が特徴で、景色に溶け込みやすい柄でした。1990年代まで約60年以上も現役であり続けた、世界で最も長寿な迷彩の一つとして歴史に刻まれています。
出典:Wikimedia Commons, “Wartime Italian M1929.jpg”, CC BY-SA 3.0
出典:Wikimedia Commons, “Sobreunif-TM-58.jpg”, CC BY-SA 3.0
・【ドイツ】「輪郭を崩す」迷彩の発展(1930年代〜)
一方、ドイツでは、単に背景に溶け込むだけでなく、兵士の輪郭や境界をどう見えにくくするかという点でも、迷彩が研究・発展していきました。
武装親衛隊(Waffen-SS)だけでも少なくとも8スタイルが確認されるなど、その展開は非常に多彩でした。
代表的なものとして、次のような柄があります。
・スプリッター迷彩(Splittertarnmuster / 1931年)
自然界にはあまり見られない直線や鋭い角を多用することで、輪郭や境界を見えにくくすることを狙った迷彩柄。
出典:Wikimedia Commons, “Buntfarbenmuster 31 (Splittertarn) (cropped).jpg”, CC BY-SA 3.0
出典:Bundesarchiv, Bild 101I-586-2221-14 / Thönessen (nn) / CC-BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
・ピー・ドット迷彩(Erbsenmuster / 1944年)
無数の点で構成された迷彩柄。丸みのある小さなパターンを複雑に重ねた柄で、現代の「デジタル迷彩」を思わせるような印象もあります。
出典:Wikimedia Commons, “Erbsenmuster.jpg”, Public domain
出典:Wikimedia Commons, “SS soldiers of the 9th SS Panzer Division Hohenstaufen … 1944 Normandy.png”, CC BY-SA 4.0
しかし、迷彩の歴史は「進歩」だけでは語れません。
優れたはずの柄が、実戦では思わぬ悲劇を招くこともあったのです。
・【アメリカ】「誤射」の悲劇と、ハンターたちの再発見(1942年〜)
1942年、アメリカ軍は初の迷彩柄「フロッグスキン(M1942)」を採用します。
太平洋戦線では海兵隊を中心に使用されましたが、1944年のノルマンディー上陸作戦(ヨーロッパ戦線)では、致命的な誤算を招きます。
この柄が、遠目にはドイツ軍の迷彩服に似て見えたため、味方から敵兵と誤認されて撃たれる「誤射(フレンドリー・ファイア)」が起きたのです。こうして、フロッグスキンはヨーロッパ戦線では姿を消すこととなりました。
戦後、軍で大量に余ったフロッグスキンが民間に払い下げられると、これに目をつけたのが湿地帯のハンターたちでした。「水辺の鴨から身を隠すのに最適だ」と評判を呼び、いつしか「ダックハンターカモ」の名で定着し、広く浸透していったのです。
出典:Wikimedia Commons, “Frog Skin camouflage pattern.jpg”, CC BY-SA 3.0
出典:Wikimedia Commons, “Normandycamof.jpg”, Public domain
一度は姿を消した迷彩が、巡り巡って今ではアメカジの定番として親しまれているのも、この迷彩の面白さです。
