Reggieの勝手に豆知識|迷彩の歴史 #1:なぜ軍服から「色彩」が消えたのか
今でこそ定番の「迷彩」ですが、原点は複雑な模様ではなく土の色でした。
・「名誉」という名の赤い標的
19世紀までの軍服は、いわば「見せるための服」でした。
味方を見分け、隊列を美しく保ち、国家の威信を敵に見せつける。そのために「あえて派手であること」が、当時の正義だったわけです。
その象徴がフランス軍の真っ赤なズボン、通称「マダー・レッド」。
赤いズボンはフランス軍の国家的象徴とされていましたが、時代の進化がそれを残酷なものに変えてしまいます。
1884年の無煙火薬の登場をはじめ、連発銃や機関銃が普及すると、遠くから正確に、かつ連続で狙い撃たれるようになり、かつての誇りだった「赤」は、皮肉にも戦場で動く標的へと変わってしまったのです。
📷1914年のフランス歩兵。赤いズボンが特徴の初期軍装。
出典:Wikimedia Commons, “798px-French soldier early uniform WWI(1).JPG”, CC BY-SA 3.0
・コーヒーやカレーで染めた軍服
一方で、いち早く「隠れる色」の重要性に気づいたのが、英領インドの部隊でした。
1840年代後半、指揮官のハリー・ラムズデン卿は、部下たちが着ている真っ白な軍服は現場の環境に合っていないと感じていました。
当時の白い軍服は、砂漠の太陽の下であまりに目立ち、しかも土埃ですぐに汚れが目立ってしまう。
そこでラムズデン卿は、「最初から現地の土の色に染めて、景色に溶け込ませてしまおう」と考えました。
使ったのは、泥や土。さらには、コーヒー、紅茶、カレーパウダーまで。 身近なもので無理やり「白」を消したその色が、ヒンドゥスターニー語で「土埃」を意味するカーキ(Khaki)の始まりです。
出典:Wikimedia Commons, “A Tanaoli of the Guides (Lumsden's) Infantry, and an Afridi Daffadar of the Guides Cavalry, 1908 (c).jpg”, CC BY-SA 4.0
・「隠れる」ことが、最強の武器になった
ここからが興味深い「差」の話です。
日本が1904年の日露戦争の時点で既に、土色の軍服を採用していた一方、フランス軍は1914年の第一次世界大戦の開戦時も、伝統の赤ズボンで戦場に立っていました。
同年8月の「国境会戦(フロンティアの戦い)」で、フランス軍は壊滅的な損害を受けます。
特に8月22日だけでも、27,000人を超える兵士が戦死しました。
かつては誇りだった赤いズボンも、この歴史的な惨劇のなかで目立ちすぎる弱点になってしまったのです。
出典:Wikimedia Commons, “Japanese infantry uniform, 1914”, Public domain
名誉を脱ぎ捨て、景色に溶け込むことを選んだ。
この「隠れることが、最強の武器になる」という実用主義が、のちに複雑な迷彩柄へと繋がっていくことになります。
【Reggieスタッフのひとりごと】
カーキの成り立ちを知ると、いつもの服もまた少し違って見えてきます。
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